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[2014/6/19]
部会応援企画 近現代史ゼミ『科学と政治、あるいはカネもうけ』部会員の感想

 731部隊に所属した医者たちが、アメリカに人体実験などのデータを渡す代わりに罪を逃れ、戦後の医学界をリードしたこと、電力会社、政府、原子力村の学者らが放射線、原発の危険性を隠し、原発を造り続けたこと、そして福島第一原発事故、戦後のこれらの歴史は、いかに都合の悪いことは隠蔽し、一部の人間の利権を守るかということだったのである。疑問を持ち、追及してゆく力を持たなくては、これからも騙され続けてしまうと思った。(YT)

 「STAP騒動」の背後にひそむもの、「原発安全神話」の表と裏、原爆製造に関わった学者のその後、科学者の社会的責任、…と話は多岐に渡り、私の消化能力を超える内容でした。それでも、私の感じた事は、費用対効果を求める政治家、即戦力を求める企業者の貧しい発想と器量の狭さです。 国の研究支援体制の貧しさを、企業からの寄付金や受託研究、共同研究という形で補うことになり、企業の利潤追求と合致する研究の優遇となる。結局何のための研究なのか…。は研究者の良心に委ねるしかないのか…。私としては研究者に研究の原点を忘れないで欲しいと願うことしかできない。(JK)


[2014/5/17]
フォーラム総会企画トーク&トーク「いま、フクシマの子どもたちは・・・、そして群馬では」ミニミニ報告

 たくさんの方のご参加をありがとうございました。
 5月17日(土)に52名もの参加者を得て活発な意見交流が行われ、上毛新聞、毎日新聞に大きく掲載されました。
 当時、福島双葉高校に勤務していた松本先生からは、3・11のあの時とその後、福島の高校生と先生たちに何が起こったのか、ご自身の逃避行も交えて生々しく語っていただきました。鈴木先生はつらく悲しい想いをいっぱい秘めていたにもかかわらず、当時勤務していた川俣高校の生徒たちを励ましながら3・11以後をたくましく生きてゆこうという、文化祭と家庭科の授業を通しての実践を明るく報告していただきました。学ぶ所が多く、私たちの方が元気をもらったような気がしました。
  報告の後の質疑では、浪江町が実家である高校の元女性教師からは行くたびに荒れてゆく実家の姿を見るのが辛いと淡々と語る様子がかえって胸の詰まる思いでした。また、仕事なのだが福島に入るべきかどうか迷っている自分がいると悩みを語った別の女性教師もおり、正直に語ってくれてありがとう、と先の元女性教師とのやりとりの場面もありました。他にも鋭い発言がいくつもありました。ややもすると、もう事故は収束したかのように錯覚し放射能の心配も風化してしまいそうな昨今ですが、鈴木先生も報告の中で語っていたキーワード「忘れない」のために今回の企画をやって良かったと感じています。この詳細は『育ちと学び』No.21をお楽しみに。

第11回原発と自然エネルギー研究部会報告
  5月20日(火)、今年度2回目になる部会を行いました。私たち自身の活動の履歴を残すことと活動を深める目的のために、今後もできるだけ報告をしてゆきたいと思います。
今回は今年度の活動テーマの(2)「原発の歴史的経過と意味を学ぶ」に基づき、『原発そもそも論』をフォーラム会員生き字引である内藤真治先生に講師をお願いして、部会内で学習会を行いました。このページをお読みのみなさん、「あれだけ大変な福島第一原子力発電所事故が起こっていながら、なぜ原発ゼロの方向に舵を切らないのか」とか、「いったい、日本はなぜこんなにたくさん原発を作ることになったのか」といぶかしんでいる方いませんか?内藤先生が戦前からの"いわく"を史実に基づいて語ってくれました。
原子力と戦前、戦中といえばぴんと来る人がいるかもしれません。原爆開発の由来があるわけです。戦後の核冷戦は核兵器開発競争を助長し、その方向転換としてアイゼンハワー大統領(米)の’Atoms for Peace’宣言、即ち「核の平和利用」が始まったわけです。日本では、あのビキニ水爆実験で第五福竜丸が被曝した1954年に政府は原子力研究開発予算として2億3500万円を計上し、日本の原発政策は明確に始まります。(ナゼ2億3500万円か?ウラン235にちなんだという話もあるとか・・・)
それにしても、原爆被爆国である日本に現在でも稼働可能な炉が48基もあるのはなぜなのか疑問の方もおられるのではないでしょうか。質疑の中で明らかになりました。1970年代、貿易赤字で苦しんでいたアメリカは日本との交渉の中で飛行機と濃縮ウランの輸入をせまり、日本は長期にわたり輸入を受け入れたという・・・。
最近のきな臭い世界、日本の情勢を考えると、もう一つの懸念があるかもしれません。「核兵器のための原発の温存」。内藤先生の提供された東京新聞資料によりますと、1964年佐藤栄作首相に「核潜在力に原発を」という報告書がブレーンの若泉敬氏(国際政治学者)より提出されたいたというのですから、疑わざるを得ないものかもしれません。

[2013/10/10]
  講演会「派遣・ピンハネ・かん口令~原発労働者の実態~」報告(さよなら原発群馬郡の会主催)というものを先日の9月21日に聞いてきました。いわき市の市議さんのお話でしたが、あまりにも低賃金、あまりにも作業員の命の軽視、あまりにも日本の無責任というものを知らされた講演でした。 時給は一見高そうですが放射線被ばくのリスクは高くその後の健康保険がない。被ばくの上限があるから作業員にも無理があって、知識がなくても雇って、研修もそこそこで働かされる。「5分で行ってねじ締めてこい!」、「ハイッ!ネジ、どっち回せばイイですかっ!」現場は戦場です。でも、汚染水タンクは水がやはり漏れるかもしれません。(SKT)

原発と自然エネルギー研究部会ページ立ち上げに当たって

  3・11東日本大震災から2年7か月、福島第一原発事故の汚染水対策は後手後手に回り、展望は見通せません。除染問題も中間貯蔵施設の設置場所も決まらず、汚染土は野積みされたままです。東電は、福島第一原発の事故原因の究明もなされない中、柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働に向けて、原子力規制委員会に安全審査を申請しました。本当にまた原子力発電所を稼働させて大丈夫なのでしょうか?気になるところです。原子力に頼らず、自然エネルギーによる電力供給を増やすべきではないか、等々、原発と自然エネルギー研究部会としても取り組むべき課題の多さに、ますます自分の非力さを感じています。 一人であれこれと考えてもなかなか前に進めませんが、運営委員会や部会で集まり議論すると何となく方向が見えてきたりしています。(J.K.)

 原発と自然エネルギー研究部会では現在の所、かかわりのある仲間の中で普段思っていることや自分の調べたことなどを語り合っています。先ずは「放射能の語り場」、サロンとしてスタートして良いかなと思っています。いずれ公開企画も行っていきたいと思っていますが、先ずはブログが中心となりそうです。自分たちの勉強の場、つい怠けてしまわないように刺激の場としていきたいと思います。読者のみなさん、あたたかい目で見てくださいね。(SKT)

3・11より2年と8ヶ月、福島第一原発の“収束”の現実は混沌としています。今年3月高校を退職し非常勤理科講師として新たなスタートを切った私は、改めてフクシマを捉えなおし、何らかの形で発信してゆきたいとフォーラムの原発と自然エネルギー研究部会に関わることにしました。 私の原子力との関わりは鉄腕アトムを初めとする漫画大好きな子ども時代から始まり、大学理科系への進学と進みました。しかし、1986年3月26日チェルノブイリ原発事故は理科教師となった私の在り方を180度転換させるものでした。以後、ヒロシマ、ナガサキにまでさかのぼり”原子力”の因果な歴史を不充分ながら自分なりに見直し、授業の中に若干なりとも反映させ、原子力の問題を考え続けてきました。そして、2011年3月11日、あまりにも非力な一理科教師を感じざるを得ませんでした。 そこで、冒頭の決意ではあるのですが、何をしたら良いかは簡単ではありませんね。原発と自然エネルギー研究部会では現在の所、かかわりのある仲間の中で普段思っていることや自分の調べたことなどを語り合っています。先ずは「放射能の語り場」、サロンとしてスタートして良いかなと思っています。自分たちの勉強の場、つい怠けてしまわないように刺激の場としていきたいと思います。読者のみなさん、温かい目で見てくださいね。(SKT)