近現代史ゼミ(第3期・第25回、2013年11月23日)の報告  講師・内藤真治さん

日本と朝鮮半島の150年②

「韓国併合」(1910年)で日本はあらゆるものを奪った(でも、今なお「朝鮮のためになることもした。かなりいいこともした」と発言する日本人もいる)。
 例えば「皇民化政策」、37年に「皇国臣民の誓詞」が制定され、「私共ハ 大日本帝国ノ臣民デアリマス」(児童用)と言わされ、39年には「創氏改名」が始まり、日本的な家制度(夫婦同姓)が強制された。
 今年は関東大震災から90年。この時、日本国内で約6000人の朝鮮人が虐殺された。群馬では藤岡警察署に保護されていた朝鮮人17人が、興奮して暴徒と化した自警団員によって虐殺された。隣接する成道寺には「関東震災朝鮮人犠牲者 慰霊之碑」がある。関東各県に慰霊碑があるが、千葉県八千代市の「無縁仏之墓」には、朝鮮人や大震災といった語句が全くない。「加害者」や関係者が現存することをおもんばかってか。
 当時の新聞(大阪朝日・9月4日)に「各地でも警戒されたし 警保局から各所へ無電」の見出しで「大混乱状態に附け込み不逞朝鮮人の一派は随所に蜂起せんとの模様あり、中には爆弾を持って市内を密行し、又石油鑵を持ち運び混雑に紛れて大建築物に放火せんとするの模様あり…各地に於いても厳戒されたし」と報道されている。うわさの出所は内務省警保局であったことが分かる。
 人心不安の時、一種のガス抜きという傾向であったのではないか。このとき狙われたのは朝鮮人だけではなかった。亀戸事件や甘粕事件などのように、労働組合の活動家や無政府主義者も軍人らに殺された。

 さて戦後、キーワード=「第2次世界大戦後のアジア史、その背後には常にアメリカの影があった」。1965年に日韓基本条約が締結されたが、その11月7日の朝日新聞の社会戯評「ついに強行採決」の漫画(横山泰三・画)で、自民と韓国政府の握手の上に第三の手、アメリカが描かれていたのを、遅版ではアメリカの手だけが消されていた。「日本政府の内閣情報室の『調査月報』七月号も『日韓両国の背後に米国という影の演出者が終始動いていた』と書いているのにー」(小和田次郎『続デスク日記ーマスコミと歴史』)

1、日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(略称・日韓基本条約)
 予備会談が始まった1951年から締結された1965年まで15年近くの年月がかかっている。李承晩大統領の日本敵視姿勢や日本側首席代表の不穏発言 でしばしば中断した。日本国内でも、韓国だけを唯一の合法政府とし、社会主義国を敵視する条約の内容に野党が反対していた。韓国国内でも日本人の歴史認識に対する怒りや被害に対する個人補償の問題で反対があった。
歴史認識問題や竹島(独島)の帰属については、65年1月「解決せざるをもって解決したとみなす。したがって条約では触れず」(丁・河野密約)でタナ上げ(『中央日報』)の報道があったが、日本政府は「密約」を否定し、基本条約交渉の議事録公開を今も拒否している(韓国側は公開)。

2、財産・請求権、経済協力に関する協定(基本条約と同日調印、発効)
【第1条】日本は韓国に対し、1080億円(3億ドル)の生産物及び役務を無償供与、720億円(2億ドル)の貸し付けを10年にわたり行なう。
 これで、朴大統領の独裁制憲下、急速な経済成長《漢江(ハンガン)の奇跡》
  【第2条】国及び国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、…完全かつ最終的に解決されたことを確認する。
 この「完全解決」に強制連行・労働や「慰安婦」などの個人請求権も含むが、日本政府は一貫して「解決済み」の立場、韓国では大法院判決で、この点での韓国政府の消極的態度を批判。
 国際法律家委員会(世界各国の裁判官・法学者・弁護士が委員)は65年の協定は、政府に対する賠償に関するもので、個人による請求権は含んでいないと断言している。
 3億ドルの無償供与は大部分がインフラ整備や企業投資に使われ、個人補償の総額は、日本からの無償供与の5.4%に過ぎなかった。

3、戦時徴用工の賠償請求に関する韓国大法院判決
 2012年5月、韓国大法院で初めて「個人の請求権は消滅していない」との判断。差し戻し審(高裁)では日本企業(新日鉄、三菱重工業)に支払命令が出されている。韓国政府の立場は、徴用工の請求権に関する問題は外交上解決済みとの立場。
  「請求権・経済協力協定」第3条では「両締約国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」と定めているが、日本政府は「解決済み」の立場で、交渉のテーブルにつくことも拒否。
「戦時中に日本各地の企業に強制連行されるなどした朝鮮人名義の数万冊の郵便貯金通帳が、本人に無断で、ゆうちょ銀行福岡貯金事務センター(福岡市)に集約・保管されていることが7日ゆうちょ銀行への取材で分かった。貯金はほとんどが戦時中の未払い賃金とみられる。…当時、企業の多くは逃亡を防ぐため賃金の全額を朝鮮人労働者に渡さず、一定額を郵便局などに強制貯金していた。郵便貯金の多くは終戦時の混乱で本人に渡されず、戦後も通知されなかった。」 (2013.9.8東京新聞)
  
  2013年は「松川事件」の無罪確定から50年、10月に福島大学で開かれた全国大会に参加した。約800人の参加者で大教室は満杯。第2、第3会場が用意されたが、それは今も多くの冤罪事件がある証拠。4人の元被告や弁護士の挨拶、講演があった。
 松川事件(1949.8.17)では東北本線金谷川・松川間で上り列車が脱線転覆、機関士ら3名が死亡。「赤間自白」から次々と20人(国鉄労組側10人、東芝労組側10人)が逮捕され、一審判決(福島地裁)は全員有罪(死刑5名含む)、二審(仙台高裁)では数名を除き原判決が維持された。しかし、検察が隠していた諏訪メモ等があきらかになり上告審(最高裁)では原判決破棄、差し戻し。差し戻し審(仙台高裁)で全員無罪。検察が再上告するも上告棄却で無罪が確定した。
 実はこの後、国家賠償訴訟(刑事事件の元被告と家族が国を訴えた)が行なわれ、新たな証拠も出てきて原告勝訴(東京地裁)。敗れた国側は控訴したが、東京高裁で棄却、国は上告を断念し判決が確定した。東京地裁の判決は警察の捜査手法、検察の不当性を指摘し、司法をも厳しく批判している。

(まとめ・設楽 春樹)


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