近現代史ゼミ(第3期・第23回、2013年5月25日)の報告  講師・内藤真治さん

憲法があぶない!

1、憲法は刑法や道路交通法の親分ではないのだ!
 憲法は法律ではない。国民に「××すべし」「××すべからず」というのが法律であり、反対に、国民ではなく国家をしばるのが憲法だ。これを立憲主義という。世論調査では「憲法とはもともと、どのようなものだと思いますか」という質問に対して、「国家の行動を制約するもの」と答えた人が18%しかいなかった。(朝日新聞5月2日)  実際に日本国憲法では、次のようになっている。  
○ 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」(前文)
○ 「国民の権利については…立法その他国政の上で、最大の尊重を…」(13)
○ 「何人も…国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」(17)
○ 「国は…社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(25②)
○ 「国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」(99)
 ところが、自民党の日本国憲法改正草案(平成24・4・27決定)ではどうか。
天皇は元首(1)、国民に国旗・国歌尊重義務(3)、自衛権と国防軍(9)、自由や権利は「公益及び公の秩序」に反してはならない(12)、重ねて、「公益及び公の秩序」に反する「表現の自由」は認められない(21)、国民に憲法尊重義務(102)などが出てくる。  安倍首相は立憲主義を知らないのか、知っていてあえてやろうとしているのだろうか。日本のメディアはこの改憲案についてあまり報道しない。
「五日市憲法草案」(1881)  全204条のうち150条くらいが権利に関するもので「憲法は国民が決めるのか、国王がきめるのか」などが議論されていた。 ポツダム宣言(1945・7・26)に「日本国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化」という表現が入っている。連合国も日本に自由民権運動や大正デモクラシーなどがあったことを認識していた。

2、「今の憲法は敗戦後、占領軍によって押し付けられた」というウソ
①1955年の自民党結党以来、「自主憲法制定」は自民党の党是だが…
 「憲法改正の歌」(1956年 作詞・中曽根康弘)、こんな古い歌、今の時代には関係ないと思ってはいけない。今もインターネットで検索すると出てくるし、それに共感する意見もある。
②生存権(25条)をアメリカが「押しつける」ことがあり得るだろうか
 アメリカは「自己責任論」の国、それは、オバマ大統領が国民皆保険や銃規制を進めることが困難なのを見てもわかる。生存権の考え方は現在でも希薄だ。
 日本国憲法の生存権(25条)の条文とほほ同じものが、戦後、民間の学者で作られた憲法研究会の草案要綱にある。そして特に、ドイツでワイマール憲法を学んだ森戸辰男が強く主張したものだ。
③「憲法研究会」(高野岩三郎、鈴木安蔵、森戸辰男ら7人)
 憲法研究会の草案要綱は1945年12月26日にGHQに提出され、すぐに翻訳、検討され、「民主主義的で、評価できる」(民政局員ラウエルのコメント)とされた。
 つまり、「民政局は、まったく無の状態から…モデル憲法を起草したわけではない。…各政党、民間団体や個人が準備したその他の改正草案―例えば…憲法研究会案…など―の長所が参考にされたのである。改正憲法は、…日米協働による創作物」(元民政局次長ケーディス「日本国憲法制定におけるアメリカの役割」)だった。アメリカが一方的に押し付けたものではない。
④日本国憲法は大日本帝国憲法の「改正」として、帝国議会で審議の上、可決成立した
 「衆議院本会議ではおよそ30ヵ所の追加修正が可決された。…少なくとも2つは、マッカーサーの意に反して行われたものであった。」(ケーディスの「回想」)
⑤第九条「戦争放棄」の言い出しっぺは誰か
  古くから論争が続き、決着を見ていない。 首相だった幣原喜重郎は、戦争放棄や軍備全廃は自分の信念であり、新憲法は「決して誰からも強いられたものじゃない」と述べている(幣原喜重郎『外交五十年』)。
 また、マッカーサーによれば、新憲法に戦争放棄・戦力不保持の条項を入れることは幣原首相がマッカーサーに提案してきたものだ(『マッカーサー回想記』)という。戦争放棄はGHQ(マッカーサー)の指示によるとする説は、2月4日のマッカーサーノート(三原則)に戦争放棄が入っていることを根拠にするが、『マッカーサー回想記』によれば、それ以前の1月24日に幣原がマッカーサーの事務所を訪ねて提案していたことになる。

3、「外国に比べて、日本の憲法は改正のハードルが高い(96条)」というウソ
 憲法96条によれば、憲法改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議するとなっている。これを自民党などは過半数の賛成に緩和しようとしている。
 しかし、『東京新聞』が衆議院法制局の資料などをもとに作成した《改正手続きの国際比較》によれば、「日本だけ厳しい」はウソ。そして、「邪道、欺瞞…学者から批判噴出」(東京新聞の見出し)という状態になっている。

4、「新聞なんてどれも同じ」は間違い―改憲問題とマス・メディア
 憲法問題についての各紙の立ち位置は以下のよう。原発問題についての報道姿勢とほぼ共通である。
  産経・読売・日経vs毎日・朝日・東京
  朝日新聞は「天声人語」や「素粒子」にまっとうな指摘を載せているが、これは一種のガス抜きで、他の紙面では逆の傾向の記事を掲載してバランスをとるようなところがある。このへんが《ニセ紳士》といわれるゆえんか。  東京新聞は中日傘下のブロック紙だが、一番まともな報道姿勢をとっている。『本音のコラム』などは、ここまで書いても大丈夫なのかと思われるほどだ。     

(まとめ・設楽 春樹)


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