近現代史ゼミ(第3期・第22回、2013年3月23日)の報告  講師・内藤真治さん

「慰安婦」問題について考える

1、「従軍慰安婦」ということば
 「慰安所」「慰安婦」は古くから使われていたが「従軍慰安婦」という言葉はなかった。一般的には、千田夏光の造語(73年の著書が初出)とする説が有力。広まったのは、1991年に韓国の元慰安婦の女性が名乗り出て、補償と謝罪を要求してから。  
  ●平成3年12月より内閣官房審議室が調査、その調査結果をふまえて、平成5(1993)年に「河野内閣官房長官談話」が発表された。
   以下の2~5はその内閣官房審議室の調査結果。

2、日本軍が慰安所を必要とした理由
 ①日本兵による強姦などで反日感情が醸成されるのを防ぐ。
 ②性病等での兵力低下を防ぐ。
 ③防諜の必要。

3、慰安所設置の時期と地域
 昭和7(1932)年、上海事変勃発のころ慰安所設置の資料がある。規模や範囲は戦争の拡大とともに広がった。調査で慰安所の存在が確認できたのは日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ、タイ、ビルマ、ニューギニア、香港、マカオ、仏領インドシナ。

4、慰安婦の総数、出身地
 総数の確定は困難。しかし、長期に、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。慰安婦の出身地として確認できたのは、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダ。

5、経営及び管理(軍、国の関与)
 多くは民間業者のよる経営だが、一部に軍の直接経営もあった。民間の経営の場合も軍が許可を与えたり、施設を整備したり、慰安所規定を作成するなど、慰安所の設置や管理に直接関与した。
●以上の結果をふまえて発表された「河野内閣官房長官談話」は日本軍の関与、「本人たちの意に反した」募集、移送、管理等を認め、慰安所における生活は「強制的な状況で痛ましいものであった」とした。

6、日本政府の対応
 軍は無関係(90年)。首相の「お詫び」表明、補償問題は解決済み(92年)。93年に軍の関与や事実上の強制を認め、河野官房長官談話を発表。94年には国家補償ではなく募金による「国民基金」構想。民主党も政権交代後は消極姿勢に。そして今、安倍政権は「河野談話」見直しに言及。

7、元「慰安婦」の提訴を受けた司法の判断
 各地で被害者が名乗り出て10件の訴訟はすべて棄却。一審で一部勝訴も。

8、「慰安婦」否定論者の言い分

 「従軍慰安婦」という言葉はなかった。 軍の関与否定。「強制」を証明する資料は発見されていない。加害証言の部分的誤りから全体を否定。米紙に意見広告、教科書攻撃など。

9、国際社会はどう見ているか
 国連の各機関、米国下院、米国州議会(3州)、フィリピン、オランダ、カナダ、韓国、台湾の議会などで慰安婦問題について決議。「強制」の有無が問題なのではない、の立場。

10、「アジア女性基金」という名のごまかし
 国民から募金を集め、その寄付金(償い金)で被害者に支払う。国内の右派にも被害者にもいい顔をみせるようなごまかし。95年に来日した元慰安婦の尹今禮(ユン・クムネ)さんは「国民基金でわたしたちは二度殺される」と訴えた。    

(まとめ・設楽 春樹)


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