近現代史ゼミ(第3期・第18回、2012年5月26日)の報告

沖縄近現代史 ③

「プロローグ」…「フクシマ・沖縄」 そしてバナナ あるいはエビ
○高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』 「或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活を犠牲にして生み出され、維持される。……この国の犠牲のシステムは「無責任の体系」(丸山眞男)を含んで存立するのだ。」
 東京の便利な生活のために、原発を遠い新潟や福島に建てて電気を引っ張ってくる。かつて『東京に原発を』(広瀬隆)という本が出版されたが、本来、産地と消費地は近いほうがいい。でも現実には事故が起こるから遠隔地にある。犠牲のシステムができている。
○『バナナと日本人 フィリピン農園と食卓の間』(鶴見良行)
 マニラなどに行くとスラム街に多くの人々が住んでいる。この人々はかつて自給自足の農民だったものが、アメリカや日本の多国籍企業のバナナ農園(ブランド名はチキータ、デルモンテ、ドールなど)の労働者となり、その後マニラなどの都市部へ出てきた人たちだ。低コスト(安い賃金)で生産されるバナナは日本などへ輸出され、日本人は安いバナナを食べる。我々は加害者だと思っていないが、その仕組みはフィリピン人の困難の上に成り立っている。
○『エビと日本人Ⅱ 暮らしの中のグローバル化』(村井吉敬)
 世界中で日本人ほどエビを食べる国民はいない。エビはその多くを輸入に頼っている。2004年のスマトラ島沖地震による津波で二十数万人の死者が出た。なぜこんなに多くの被害が出たのか。エビの養殖のために海岸地帯のマングローブの木が切られていたからだ。日本人が安く大量のエビを食べられる一方で泣いている人々がいる。犠牲のシステムがあることを知っていた方がよい。

 5月21日(月)の朝日新聞の声欄に「沖縄旅行は楽しかったけれど」という以下のような投書(43歳・主婦)が載った。「沖縄返還40年に伴う様々な記事に触れて、基地問題に思いをはせることもなく、ただひたすら楽しんで帰ってきたことを、今更ながら恥ずかしく思った。……沖縄だけに苦難を押し付けてはなるまい。原発事故があって初めて、電力がどのように賄われているのかを知ったように、40年を機に、全国的に議論が広まってほしい。」
 5月15日の沖縄返還の日に伴って様々マスコミも沖縄を取り上げたが、なぜ戦後の沖縄は長期にわたって米軍の占領下におかれることになったのか、なぜ米軍基地は沖縄に集中しているのかという疑問に答えるような番組はなかった。

1 なぜ戦後の沖縄は長期にわたって米軍の占領下におかれることになったのか
   ※昭和天皇の「沖縄メッセージ」(1947年9月、連合国最高司令官政治顧問に伝えられた沖縄の処理についての天皇の見解)
① 米軍による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。(25年もしくは50年)
② 日本の主権を残したまま長期租借によるべき。(施政権は米国に)
③ 米国と日本の二国間条約によるべき。(実際にはサンフランシスコ講和条約)
 関連の内容は、『寺崎英成・御用掛日記』、『入江相政日記』にもある。
 これは新憲法が禁ずる政治的行為である。本土決戦のための捨石として、国体護持の確証をえるまでの時間稼ぎで、実に20万人が命を落とした沖縄の人々の感情を逆撫でするような内容だ。

2 なぜ米軍基地は沖縄に集中しているのか
米軍には陸海空軍の他に海兵隊がある。もとは日本本土(茅ヶ崎ビーチなど)に多くの海兵隊がいた。それが今はいなくなって沖縄に移った。
 沖縄が戦略上重要な位置にあるからというのが、米軍基地が沖縄に集中していることの表向きの理由だが、米軍の本音は違って、①日本本土の基地は反米感情が高まってマイナス、②沖縄のほうが安上がりなどである。(NHK取材班『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』)

3 「銃剣とブルドーザー」…フクシマとの違い
「…一九五五年、米軍は完全武装してきて土地をとり上げた。…手を合わせてお願いする農民を縛り上げて半殺しにする。…家を焼き払って飛行場・演習地にしてしまった。」(阿波根昌鴻『命こそ宝 沖縄反戦の心』)

5 復帰の現実―「返還協定」と「密約」
①核密約(ニクソン大統領と佐藤栄作首相との間の密約・1969年11月21日)   施政権返還までに沖縄の核兵器は撤去するが、極めて重大な緊急事態が生じた際には、事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に再び持ち込めるというもの。
 日本の主張は核抜き本土並み、米側は緊急時には核兵器の再持込を主張。京都産業大教授・若泉敬が佐藤首相の依頼で密使として交渉、努力したが成果なし。若泉は、沖縄の人々に申し訳ないという思いを持ち、佐藤首相にも日本人にも失望し、後に自殺する。(若泉敬『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス-核密約の真実』)
 結局、日本国民が知らされたのは、表向きの核抜き本土並みということだけだった。なお、後に佐藤元首相私邸から秘密合意議事録が発見されている。
②西山事件
 佐藤内閣の1971年、沖縄返還協定に際し、「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドルを日本政府がアメリカに秘密裏に支払う」という密約。
 毎日新聞の西山太吉記者が外務省の女性事務官を通して外務省極秘電文を入手、これを提供された社会党の議員によって国会で追及された。しかし、西山と女性事務官は国家公務員法(守秘義務)違反として逮捕、起訴された。そして、週刊誌が西山記者と女性事務官の不倫関係をスクープし、検察が起訴状に「ひそかに情を通じ」と記載するなどで、世論は西山記者と女性事務官を非難する論調一色になっていく。密約の中身や国民の知る権利は問題にされず、男女関係へと論点がすりかえられていき、毎日新聞の不買運動から事実上の倒産にまで至った。
なお、2009年、西山らは沖縄密約情報公開訴訟を提起。証人として出廷した外務省元局長、吉野文六は密約の存在を認めた。2010年、一審判決(東京地裁)は外務省に文書開示を命令。しかし、2011年の控訴審判決(東京高裁)は密約文書が廃棄された可能性を指摘、文書は存在していないとして開示を命じた一審判決を取り消した。
 密約について自民党の歴代担当者は一貫して認めなかった。2009年に成立した民主党政権は公開を目指して調査したが、密約関連文書を発見することができていない。
(まとめ・設楽 春樹)


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