近現代史ゼミ(2011年9月25日フィールドワーク)の報告

西上州に県内唯一の大名庭園と近代遺産を訪ねる
楽山園 width=
天候にも恵まれ、21名(含講師・スタッフ)が参加。内藤真治先生と今回特別講師として参加した原田喬先生、そして原田先生が依頼した現地での解説者による丁寧な説明で、とても有意義なフィールドワークとなりました。


   ①甘楽町小幡 中小路→高橋家庭園→喰い違い郭→御殿前通り→楽山園
 小幡は江戸時代の小幡藩二万石の城下町で、織田信長の次男、信雄(のぶかつ)が1615(元和元年)年に藩主となって以後、七代にわたって治めました。小幡藩の藩邸(陣屋)に付属する庭園が楽山園で、近年復元され、2000(平成12)年に国の名勝に指定されました。江戸初期の池泉回遊式庭園で、県内で唯一残っている大名庭園です。

②下仁田町ふるさとセンター(歴史民俗資料館)
 一階でねぎとこんにゃく、下仁田戦争などについて、二階では中小坂鉄山と製鉄所などについて説明を聞きました。
こんにゃくの生芋を薄くスライスして細い棒にさして乾燥させたもの(実物展示)を臼と杵で搗いて粉にするという具体的なイメージは、午後の田島屋こんにゃく工場の見学に役立ちました。
  このふるさとセンター付近の場所は、下仁田戦争で水戸の天狗党(尊王攘夷派)の一隊が三面奇襲攻撃で山側から高崎藩本陣を攻撃した場所でもあります。

④下仁田町 町並み散策
  廃業したビリヤード(撞球)場やパチンコ屋が残る中央銀座通りという狭い路地を抜けて青岩公園方向へ。青岩公園は西牧川と南牧川の合流点で(ここからが鏑川)、青い石畳が美しい公園。また、青岩河原は下仁田戦争で敗れた高崎藩士が斬首された場所です。 


⑤田島屋こんにゃく工場見学
   多数の木製の杵がそのまま残っています。縦軸タービン水車も残っていますが、現在は土に埋まっていて見ることができませんでした。この工場は鏑川沿いにあり、水車を動力にこんにゃくを粉にひいた工場です。大正の創業だそうですが、昭和の初め頃にはタービン水車を導入、後には電動機も併用していましたが、現在は操業していません。なお、群馬県はこんにゃく芋の収穫量は日本一で、全国の約90%のシェアを持っていますが、実際のこんにゃく栽培の中心地は昭和村などに移っており、下仁田は少なくなっているのだそうです。

中小坂鉄山 ⑥中小坂(なかおさか)鉄山、製鉄所跡
  中小坂での磁鉄鉱の採掘精錬は、幕末の弘化(1844)~嘉永(1848)年間に始まったと伝えられていますが、はっきりしません。
 明治のはじめに蒸気機関を利用した洋式高炉製鉄所として、英国人技師やスウェーデン人技師らを招いて操業、1878(明治11)年には官営となりました。高炉だけでなく、練鉄炉や銑鉄鋳造設備なども備え、銑鋼一貫作業の形態をとっており、1880(明治13)年に岩手県の釜石製鉄所ができるまでは、日本で唯一の洋式製鉄所でした。その後、1884(明治17)年に再び民間へ払い下げられました。採算が合わず明治末年には生産を中止、大正期に製鉄所の施設・設備が撤去されました。その後も鉄山での採鉱は続き、戦時中を中心に1961(昭和36)年まで行われていました。現在、坑道跡、トロッコの軌道跡、石垣、焙焼炉の基礎部分の煉瓦、石宮と鋳鉄製鳥居などが残っています。

◎ジオパーク
  下仁田町は、地質や断層などが地球(ジオ)活動による貴重な自然遺産にあたるとして、今年9月5日、県内で初めて町全体が日本ジオパークに認定されました。町内にはジオスポットと呼ばれる名所が約30カ所あり、町は観光振興を図りたいようです。  2011年9月現在、日本には20地域のジオパークが日本ジオパーク委員会によって認定されており、また、そのうち5地域(洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、山陰海岸、室戸)が世界ジオパークに認定されています。

(まとめ・設楽 春樹)


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